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東京で子育てすることに限界を感じた!東京から地元へUターンした理由

2023年05月09日 更新2020年04月21日 公開

私は10年くらい東京で生活をしてきましたが、とある事情で東京から地元へUターンすることを決めた理由などをお伝えします。戻って1年くらいの記事です。

核家族で東京で子育てすることに限界を感じた

子育てをして感じたことは、核家族で東京で子育てをするのには、限界があることです。もちろん、核家族でもしっかり子育てをする家庭もあるでしょう。

「妻に子育て適正がある」
「夫が子育てサポートしやすい仕事である」
「子供の手がかからない」
「実家が近い」
「共働きで乳幼児から子供を保育園に預けている」

など人によっても、子育ては楽勝と思える人もいれば、地獄と思える人もいます。

それに、核家族で子育てをできるのが当たり前のように思われていますが、全然当たり前じゃないんですよね。むしろ、核家族でも子育てできちゃう超強い女性が、標準に定められてしまっているのが問題なんですよね。

実際には、子育てに苦しんでいる女性は多いと思います。そして、実は男性も苦しんでいます。以前のように働けばいい時代ではなく、家族や社会からは子育てを求められるからです。

だけど、会社やビジネスではそんなことは許されません。育休なんて取得すれば出世できなくなるでしょうし、私のように独立している人には、そんな時間をとることすらできませんでした。

むしろ、家族のためにもっと働かなければと、思うようになってしまいました。ちょうど、子供が生まれたタイミングから新しい会社も創業して、子供や家族のためにもバリバリ稼いでがんばろうと家庭も省みずに働いてきました。

最初は子育てを全部任せていたけど、途中からはすべてがうまくいかなくなりました。地元も遠いので、サポートもなかなか来れない状況です。

かといって、仕事をしないと生活が成り立ちません。そんなジレンマを感じながら、3年ほど生活をしてついに限界を感じるようになりました。

子育てのサポートを受けたい

私も妻も地元が近いので、地元に戻れば両家の実家から、子育てのサポートを受けやすくなるのも大きな理由です。

東京だと遠くからわざわざ来てもらわない限りは、サポートできる人がいないのです。父や母、祖母など様々な人の力を借りることができます。ちょっと疲れたときでも、お互いの実家も近いから離れる時間も作りやすいし、頼れる人も2倍以上です。

それに仕事の時間を調整すれば、子供の保育園へのお送り迎えは交代できるし、夜も一緒に食べれます。食べる人も多いし、さみしくありません。サポートを受けたいというのが、かなり大きな理由です。これは本当に大事!

貯金がなくなる前に帰りたかった

「子育てを優先すると仕事ができない→仕事ができないと収入が悪くなる→仕事を頑張ると家族が疲弊する」

といった悪循環に見事にはまってしまいました。仕事をしても子育てをしても、私の心もどっちつかずでした。そして、とにかく貯金だけが減っていく生活が続いていました。

東京でそれなりの生活を維持すると高コストになるので、それなりに働かないといけないのですが、どうやっても仕事の時間を確保できないというのが現状でした。

否、仕事はやろうと思えばできるのですが、地獄のような先が見えない状況に、正直メンタルが折れていました。そして、妻が体調を崩したことをきっかけに、帰ろうと思うようになりました。

体調が完全に良くなるまで数年かかることもあり、数年は仕事に専念するのは難しいことがわかったからです。今ならまだ貯金もあるし、会社のキャッシュもあるので、余裕があるうちに帰ろうと思ったのです。

実際に東京は家が狭いのに家賃は高いです。私も調子がいいときに新築分譲マンションを借りてしまったので、毎月20万円の家賃がかかっていました。それに生活コストも高い割に、役員報酬はそんなに高くできない状況でした。

お金が目的ではなくなってきた

ベンチャー企業をしていたので、当時の仲間でも上場した人もいれば、MAで金持ちになった人もたくさんいます。地主という生まれつき金持ちの人もいます。

そんな人を見るにつけて、いつの間にか頭がお金にとらわれていました。お金を稼ぐことだけが人間の価値なのか?そうじゃないだろ?

自分が「世のため人のためになることがしたい」と心からやっと思えるようになった。それが自分にとって楽しいことなら最高じゃないか。

今ならまだ会社のお金で、社用車くらいは買えるし。個人の貯金は手をつけていないので家の頭金も払えます(余談ですが頭金払えないほど、ローンの信用度低かったので甘かったですw)。

だけど、現状の生活が続くと、東京にいるだけで毎月お金が減っていきます。この2年で会社だけで400万円、個人の貯金も800万円なくなりました。1,000万円以上消えたw

今だって赤字なのに無理して、ハイソな生活を続けている感じで、健全じゃないです。東京で生活するのには、それなりに仕事の時間で家族を犠牲にしなきゃ生活維持できませんでした。

でも、やりたくない仕事をお金のために「いやいや」やっているから全然稼げないし、それが結局家族にも迷惑をかけてしまってる。

正直前の安いマンションに住んでるときは、生活コストが安くて楽だった。分譲マンションに引っ越してから、本当にしんどかったです。

本当の私は見栄を貼るより、安いコストで暮らしたいんだとも気づきました。地元に帰れば生活コストは半分になるから、月に40万円もあれば生活できるけど、東京だと月に80万円あってもこの生活は維持できないんです。

今のお金の使い方だと100万円くらい毎月かかりました。そりゃお金なくなるよ。お金で悩みたくない。家賃で悩みたくない。お金とか貧乏とか考えない環境に、身を置きたいと思うようになりました。

子供が年中になる前に帰りたい

上の子が年少だったので、幼稚園の途中で保育園に変わるのはかなり心が痛みました。保育園に行きたくないと泣いたこともありましたし、ずっと東京にいたかったと言われてかなり心が痛みました。だけど、早めに帰ればまだ馴染みやすいかなと思ったのです。

なんとなくやりたい仕事が見つかった

子育てと仕事に追われる日々に疲れ切ってしまい、自分の心に栄養が足りないなぁと思って本を自分で久しぶりにまとめていたら、私やっぱり本をまとめるのが好きなんです。

本をまとめて自分の心や知識が高まるときに、無常の喜びを感じるし、この知識を誰かに教えてあげたいって思う。

やっぱり、本をまとめるような仕事がしたいし、ブロガーでも物書きでも作家でも何でもいいから、ネットで物書く仕事に専念したいと思うようになりました。このメディアもそんな理由からはじめました。

会社通勤が辛いし自由が好き

私は経営者ではありますがほぼ1人法人なので、業務委託などで他の会社に常駐する仕事も当時受けていました。地下鉄や山手線を利用して、朝会社に通勤するのですが辛いです。

本当にただお金のためだけに働いていて、仕事は楽しくないし、毎日時間を無駄にしている感がすごいなとも感じました。満員電車もまじで辛い。

それに家族のために稼がきゃって思ってたけど、その家族のために働いたことが、家族を疲れさせる原因にもなっている。

それにやっぱり自由が好きだ。スタバとかで仕事をするのが好きだ。会社を大きくしたいって思ってたのはあったけど、心の底からそう思えなかった。

なんとなく、起業して、自分のプライドや意地で会社続けてたけど、別に金持ちになりたいわけでもないし、世界を変える事業がしたいわけでもない。

自分が体験して楽になったことや役になったこと、中村天風や稲盛和夫の情報コンテンツとか作りたい。作家みたいなかんじの個人の生き方がしたい。そうやって役に立ちたい。

今まで一番個人ブランディングして個人で生きるのは違うかなと思ってたけど、本当はそういうことがやりたかったってことに気づきました。

東京で仕事をするメリットがない

私の仕事はパソコンとネット環境があればいいので、東京で仕事をするメリットがないです。パソコンとネットがあればどこでもできるから。田舎のほうが家賃も安いので、仕事的には最高の環境なのです。

それに東京だと、家賃を稼ぐために別の仕事もしないといけないので本業に時間をかけれず、本業の売上も上がらずの負のスパイラルの連鎖な気がしている。

そこを脱することができればいいけど、今そんな状況じゃないし、それにはそれなりの時間が必要だ。

東京にいたら物書きをする時間は二足のわらじの時間になって、最近だと1日1時間もやれていない。二足のわらじは安定するけど、それ以上の稼ぎはなかなか見込めない。

地元に戻ればメリットたくさん

でも、一旦地元の実家に帰れば家賃もかからないから、前のようにスタバで仕事ができる。お金に困っても困る金額も小さいから、リカバリーを取りやすい。

自給自足をして食費をけちってもいいし、食品も安いし健康的だし、空気も綺麗。もしものときは友達の会社にでも雇ってもらおうwとりあえず生きていけるだろうw

実家なら家賃もかからないし、実家に住めないでも戸建が2,000万円程度で買える。30年ローンでも毎月10万円もかからないし、今より広い家になるし(実際戸建て購入は4,000万円以上かかってローンは毎月85,000円くらいでした)。

*「建売戸建購入奮闘記」も参考にしてください

子供の部屋もできるし、戸建だから多少傷ついても気にしない。とりあえず戸建て買っておいて、いずれ他に理想とする家がほしいと思えば、しっかり働いて思うような家を作ればいいとも思いました。

家族の時間を大切にして、スローライフを送りたい

自分がどれだけ家族の時間を犠牲にしていたか。そして働くことが自分の信念でも心の底からやりたいわけでもなかったから、無駄に時間だけ使って全然稼げていないという、駄目駄目な結果でした。

それは、家族を大切にしないといけないのはわかってるけど、とにかく働かなければならないという教えを守らねばいけないという葛藤でした。正しい教えを理解していない自分が悪いのですが、実はこれがずっと苦しかったんです。

本当は家族を犠牲にしてまで働きたいわけじゃないんです。自分のやりたいことなら、ゲームみたいでいくらでもできるけど、今のように義務感の仕事をしたくない。

会社も大きくしたいわけじゃない。そこまで大きな人間愛で会社を経営する目的なんかもなかったのです。

正直、家族が幸せに生きていける程度の稼ぎで一旦はOK。もちろん、そのうち三井ホームとかで家建てれるようになるくらいは稼ぐよ!でもそれは、会社としてではなく、個人として稼いでいきたい。

なんか自分は一人で働くのが合ってるし、従業員を雇うというのは合ってないのかもしれない。会社にこだわっていたからこの3年本当に苦しかった。

今は家族の時間を優先して、自分のやりたい仕事もしたい。土日はしっかり休みたいし、田舎のスローライフが本当は好きだと思うようになりました。これも言い訳かもしれませんが、家族を犠牲にしてまで、仕事ができるほど割り切れなかったのです。

霊性心の発動

多分、実家に帰ろうと決断できたのは、家が一段落して、本のまとめをやってるときで、そのときふと霊性心が発動したんだと思います。

霊性心とは宇宙の知恵につながり、悟りを開く人はこの宇宙の知恵からアイデアをもらってるんだって。別に悟りを開いたわけでもなんでもないけど、家族のために自分なりに必死に動いたから造物主が教えてくれたのかなって思う。

「今回の件で、いい加減さぁ地元に帰ることに気づけよ。やりたい仕事が何なのか気づけよって。」

感想

子供は死ぬほど可愛いけど、子育ては死ぬほど大変です。子育てと仕事を考えたら、東京じゃなくて地元がベストでした。そんなこんなで、東京から地元へ帰ったお話でした。

かなり省略したけど、子供が生まれてから東京での生活はかなりしんどくて、地獄だったのかと懐かしくなりましたw

まあ実際にはもっといろいろ理由もあるけど、多くはこんな感じだったかな。今はコロナウイルスでリモートワークになってきたので、Uターンしやすい環境にはなってきたと思う。

武豊町議会議員になってからリライトしてたら、当時から核家族だけの子育てと仕事の両立に、限界を感じていたんだなと思いました。核家族でも、子育てや老後が成り立つ社会にしていきたいです。

著者

とばひさし とば ひさし
武豊町議会議員、日本維新の会
IT・Web会社の社長
詳細プロフィール

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