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本当の修行とは難行苦行ではなく、修行したいすべての方法を日常生活そのものにすることである件

2021年11月01日 更新2021年11月01日 公開

修行という言葉を聞くと、ものすごく過酷で大変な修行をしないといけないように思ってしまいます。しかし、本当の修行とは難行苦行ではなく、修行したいすべての方法を日常生活そのものにすることである件をお伝えします。「日常生活=修行」なわけです。

修行とは特別なものではない

「「行」とは何か、というと「人の人としての働き」ということなのである。
だから、行修とか、修行とかいうことを、特別のことのように思うのは大間違いなので、そう思うとただ単なる方法一つでも、行うに頗る億劫を感じることになる。(中村天風、真人生の探求p224)」

修行という言葉を聞くと、なにか特別なことをしなければいけないと思ってしまいます。そう思うと修業をするのが嫌になっちゃいますよね。でも、修行とは本来特別なことではありません。「人の人としての動き」が修行なのです。

修行したいすべての方法を日常生活そのものとすること

「一切の手段方法を、日常生活の中に織り込むことである。否、方法のすべてを、実際生活そのものと為すことである。そして始めて、ほんとうに行ずることとなり、人の人としての働きを為したことになるのである。(中村天風、真人生の探求p224)」

本当の修行とは、修行したいすべての方法を日常生活そのものにすることです。日常生活を修行にすることで、本当に「行」ずるということになり、「人の人としての働き」を為すことになるのです。深すぎますね。

「日常生活=修行」である

「修行とは、修行したいことすべての方法を日常生活にすること」を逆に考えると「日常生活=修行」と考えることができます。

なんか腑に落ちました。日常生活そのものが修行だと思えば、今の悩みや不幸や病気でさえも修行なのだと思えました。こうやって自分を高めさせてくれているのねと思えました。

道元禅師も日常生活が修行であると言っている

真人生の探求」には道元禅師のお話がよく出てきますが、道元禅師も日常生活が修行であるということを言っています。

私のような現代人は、難行苦行が必須とされるようなことを修行だと考えがちですが、そうじゃないんですよね。日常生活とすることが本当の修行なんですよね。

なので、心を積極的にする方法を日常生活に取り組むことが大切なのです。そうすれば、日常生活を通じて、自然と心が積極的にできます。言ってることは簡単ですが、日常生活にするのは結構大変なんです。簡単そうに思えることが一番難しいものです。だから絶え間なく心を高めることが必要なのです。

感想

人生いろんなことがあって、2021年10月1日現在の私の考え方では、解決できない問題がたくさん出てきました。どんな理不尽があっても、心だけは積極的でいられるように、修行をしたいと思っています。

でも、修行と思うとなんか面倒だなとか、大変そうだなとか思っていた自分がいました。でも、本当の修行って日常生活なんですよね。

日常生活が修行なのかと思えば、なんか自分でもできそうに思います。それに日常生活が修行だから、自分では考えもしない悪いことも起きたりするわけね。

でも、それは、造物主が私を高めさせようとしてくれる天のお恵みってやつなんですね。日常生活こそ大事なんだね。なんかすこしわかった気がしました。ありがとうございます。

著者

とばひさし とば ひさし
武豊町議会議員
IT・Web会社の社長
詳細プロフィール

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