嫌われないために生きてるの?半分の人に嫌われても気にしない
政治家になって思うことは、人から嫌われることを気にしているようでは、とてもできる仕事ではないなと感じます。半分の人に嫌われても気にしないという考え方が、とても重要だと感じました。
人に嫌われるのは恥ずかしいことではない
私の今までの生き方は、自分が嫌われることがあることはわかっていても、なるべく嫌われたくないという生き方でした。人に嫌われるのは、恥ずかしいことだと考えていたからです。
初めて起業した会社では、がんばって自分をブランディングして、サービスのPRに励んでいました。
でも、前に出れば出るほどに、がんばればがんばるほどに空回りをして、人から嫌われてしまうことに心が折れてしまったことがあります。
それからは、表に出ないような裏方の仕事を続けていました。しかし、政治家になって思うことは、半分の人に嫌われたとしても、気にせずにガンガン前に進むしか道はありません。
人から嫌われるくらいで、心がくじけてしまうようでは、大きな志は果たすことはできません。それに、人に嫌われることは、恥ずかしいことじゃないんです。
嫌われる人にはどうやっても嫌われる
すべての人に好かれる人間は、この世界にはいないと思います。つまり、嫌われる人にはどうやっても嫌われるわけです。
それならば、人から嫌われたとしても、ネガティブな気持ちになってはいけないのです。人から嫌われることは、誰にでもある当たり前のことだからです。
当たり前のことだと思えば、人から嫌われることは、恥ずべきことではないわけです。それに、今までの人生でも、人から嫌われないように生きたって、嫌われる人には嫌われます。
だったら、自分の信念にしたがって、嫌われようが前に進むだけです。正しいことは正しいと思うので、正しいと思うことは貫くしかありません。
嫌われないために生きているのか?
「人は何のために生きているのでしょうか?」
「人は嫌われないために、生きているのでしょうか?」
いいえ、違います。どんな人にも果たすべき役目があるから、生きているわけです。役目を果たすためには、人から嫌われることもあるでしょう。
人間の役目を果たすためだったら、半分の人に嫌われても気にしないと考えることが大切です。
自分を鍛える幸運の試練だと考えよう
それでも、人から嫌われることで、心が折れてしまうことはあるでしょう。そんなときは、人から嫌われることも、自分を鍛えるための試練だと考えましょう。
天が自分を強くしてくれるための、幸運の試練だと考えればいいのです。明るく前向きに生きることが、人生には大切なのです。
感想
政治家になると決めてからは目まぐるしいスピードで、人生が進んでいるように思います。まるで覚悟ができていない私でしたが、人から嫌われたとしても気にしない覚悟が、少しずつできてきたように感じます。
何度も人から拒絶されたり、嫌われたり、拒否反応を示されたり、ここ最近は心が折れそうになるときも多かったです。選挙のときは食欲がなく、5kgも痩せました。
でも、そろそろ覚醒できそうな自分がいるような気もします。
「政治家は嫌われてなんぼ、嫌われないためにやっているのか?何のためにこの仕事をしたいんだ?」
大きな志を果たすためにも、半分の人に嫌われても気にしないで生きていこうと思います。