複雑な家庭環境、不幸な生い立ちなら悪いことをしてもいいのか
複雑な家庭環境、不幸な生い立ちであることで、悪いことをしてもいいと思っている人がいるなと、ニュースを見て感じます。自分が複雑な家庭環境、不幸な生い立ちなら悪いことをしてもいいのでしょうか?
複雑な家庭環境、不幸な生い立ちだから不幸ではない
複雑な家庭環境、不幸な生い立ちで生まれたとしても、不幸ではないということです。周囲があなたを不幸だと決めつけ、あなたが自分を不幸だと思ってしまうから、不幸になるのです。
自分は不幸だと思う心が、自分を不幸にしてしまうのです。複雑な家庭環境や不幸な生い立ちだったとしても、絶対に幸せになれるので安心してください。以下のページも参考にしてください。
自分が不幸なら、人を不幸にしてもいいのか
「複雑な家庭環境、不幸な生い立ちだから自分は不幸だ」
という考えから抜け出せない人に、考えてほしいことがあります。それは、
「自分が不幸なら、人を不幸にしてもいいの?」
ということです。自分が不幸だから、人を不幸にしてもいいのは正しいことなのでしょうか?真理なのでしょうか?
違いますよね。自分が不幸というのがそもそも真理ではないですし、自分がどんな不運な状況であれ、相手を不幸にする権利なんてありません。だから、
「自分は家庭環境が複雑だったから、結婚しても幸せにする自信がない。だから一緒に住めない。」
とかの発言はおかしいと思ってしまうんですよね。そもそも、最初から相手を幸せにする気持ちがないとも言えます。確かにいきなり一緒に住むのは難しくても、できることから始めればいいじゃないですか。
少しずつできるようになることもあります。人間はいつだって進化できます。それに、自分は家庭環境が複雑だから、何やっても許されると思っているだけではないでしょうか?
これは一種の甘えだとも思うのです。世間がかわいそうって思ってくれるからって、何をやってもいいなんておかしいのです。
いつまでも、悲劇のヒロインやヒーロー気取りじゃダメです。それよりも、幸せのお花畑をスキップしている人生の主人公になりましょうぜ。悲観したって、何もいいことはないのです。
また、真理というのは、誰に対しても平等で残酷なものです。仮にあなたが世界一不幸だとしたとしても、
「あいつは不幸でかわいそうから、真理を当てはめないであげよう」
なんてしてくれません。
「あいつは不幸で悪いことをしているから、悪い結果を与えよう」
となるだけです。多めに見てくれないのが真理です。やっちゃいけないことは、やっちゃいけないのです。
どんな幸せな人だって、息を1分以上止めれば死んでしまうように、真理とは誰にでも平等なんです。悪いことをしたら、悪い結果になるのです。
だから、相手を幸せにしようとすることが真理なのです。真理に背くといいことが起きないのです。
大変な思いをしてきたからこそ、人を幸せにできる
最近、私はよく思うのですが、世間一般では大変な家庭環境で生まれてきたからこそ、人よりも大変な思いをしてきたからこそ、普通の状態で生まれてきた人よりも人を幸せにできるんじゃないかと思うのです。
そして、そのチャンスをあえて与えられたと。だから、自分が大変な思いをしてきたなら、そんな思いをする人を増やさないように、世界を進化向上させることができると思うんです。
だからこそ、世のため人のために、生きることができると思うのです。そのための経験だったんじゃないかなと思えばいいのです。
あなたには普通の人よりも、人を幸せにする経験があると思えば、人を幸せにすることができるんじゃないでしょうか?あとは考え方を変えるだけですぜ。あなたの力で、不幸な人よりも幸せな人を増やしてほしいです。
感想
家庭環境が複雑で自分が不幸だと感じている人は、正しい考え方を知らないと人生はきついなとは思います。
でも、真理さえ知ってしまえば、自分が不幸じゃないってわかると思います。不幸だと勘違いしているだけなんです。
それに、最初から一般的には大変な状況で生まれてきたのは、前世相当悪いことしたからかもしれませんし、前世すごくいいことをしたから、他の人よりも真理に気づくような環境を与えられたとも言えます。
どちらにせよ、全然不幸じゃないですよね。また、不幸なんて周囲が決めるものでもないし、自分が決めるものです。人生は自分の心の置きどころ一つなんです。
今まで大変なことを経験した分、人に優しくできるはずです。そして、その経験も力も持っているのです。だから、自分が不幸だから何してもいいなんて思わず、世のため人のために生きれば、もっと世界が良くなるはずです。