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当たり前のことができない人は正しい当たり前のことを当たり前にできるようにしていくことが大事

2020年11月27日 更新2020年11月27日 公開

「当たり前のことができないの?」と指摘されたことはありませんか?私はよく指摘されますが、当たり前って何だろうといつも思います。

当たり前のことができない人は正しい当たり前のことを当たり前にできるようにしていくことが大事な件をお伝えします。

当たり前とは?

当たり前とは、そうあるべきこと、そうするべきこと、普通のことを意味します。

私の解釈としては、多数の人がこうあるべきだろう、普通だろうと考えることが当たり前という感覚なのかと思います。明確な定義ではなく世間の常識やら空気やらが当たり前というものなんだと思います。

当たり前のことが当たり前にできないのは結構辛い

当たり前というのは多数派ができることであり、多数派からすると

「何でこんな当たり前のことができないの?」
「何で当たり前なのがわからないの?」

という感覚になるかなと思います。当たり前のことができないと批判や注意もするでしょう。しかし、私のように当たり前のことが当たり前にできないタイプの人間は、当たり前だと考えられていることを当たり前にできないので結構辛いのです。

当たり前のことが当たり前にできない理由

私は何で当たり前のことが当たり前にできないのかなと悩んだことがあります。それにはいくつか理由があるかなと思います。

当たり前のことを当たり前だと思っていない

当たり前とは多数派の意見だと思っています。なので、多数派からすれば当たり前のことなのですが、私のような少数派からすると当たり前のことじゃないんです。むしろ特殊なことなのです。

「これが当たり前だなんておかしい!私はこっちの方が当たり前だと思う!」

という感じです。当たり前のことを当たり前だと思っていないから、当たり前のことを当たり前にできないのは当然かなと思います。

当たり前のことがわからない

上記の理由もありますが、当たり前のことがわからないというのももう1つの原因かなと思います。自分の当たり前の感覚がズレていることもありますが、いつも

「何が当たり前なんだろう?」
「何でこのことが当たり前になるんだろう?」

と思うからです。当たり前のことわからないから当たり前のことができないのも致し方ないような気もしています。

当たり前のことを教えてもらっていない

当たり前のことを教えてもらっていないというのも理由かなと思います。まあ、当たり前というものは多数派が持っている感覚なので

「教えないでもわかるだろう」
「自分でいろんな経験をしてわかるだろう」

と思われているからか、あまり「これは当たり前のことだから覚えてね」とか言われた経験は少ない気がします。

そもそも、何が当たり前のことで、何で当たり前のことをしなきゃいけないのか、その当たり前のことは正しいのかくらいは学校で教えてもらいたかったなと思う今日このごろ。

能力的や生まれつきの問題でできない

運動や勉強など能力的や生まれつきの問題によりできないこともあります。こればかりは生まれ持った能力や役目もあるので致し方ないかなと思います。

ある程度特訓すれば当たり前にできるものもあれば、どうやっても無理なものもあるかと思います。足がなければ義足でもない限り歩けないようにできないものはできないのです。あなたの当たり前が当たり前じゃないことは往々にしてあることなのです。

正しい当たり前、正しくない当たり前があることに注意

当たり前のことが当たり前にできるようになることは、絶対に正しいように思われがちですが、全てを正しいだなんて思ってはいけません。

なぜなら、正しい当たり前と正しくない当たり前があるからです。当たり前とは多数派の意見に過ぎないと考えているので、正しくない当たり前もやっぱり存在します。

昔は武士が人を斬るのも当たり前でしたが、今は人を斬るなんて当たり前じゃないですよね。なので、正しい当たり前と正しくない当たり前があることを知ることが大事です。

常識とは多数派の意見で正しいとは限らないので、少数派は空気を読んでもいいし、あえて空気を読まないも手」も参考にしてください。

正しい当たり前だけは当たり前にできるようにすることが大事

正しい当たり前と正しくない当たり前があることを知ったら、正しい当たり前だけは当たり前にできるようにすることが大事です。

正しくない当たり前は正しくないので、当たり前にできなくても構いません。正しくない当たり前なんて世間が当たり前だと言ってもやる必要はないのです。だって、正しくないのだから。

ただし、間違った当たり前であっても「間違ってはいるけど今の世間では当たり前だと思われている」と知っていると、間違った当たり前を実行しなくとも不要なトラブルは避けられるようになるかなと思います。処世術ってやつですな。

正しい当たり前を当たり前にしていくコツ

正しい当たり前を当たり前にしていくコツがあると思っています。

自分が正しい当たり前をできていないことを自覚する

自分ができない正しい当たり前があったときに、自分が正しい当たり前を当たり前にできていないことを自覚することが大事です。

というか自分が正しくないことを自覚しないと、もう正しい当たり前を当たり前にすることなんてできません。自分が正しくなければ正しくすればいいだけです。

そして、自分が正しくなければ受け入れる度量を持つことも大切です。若くて自分だけが全てのときは結構難しいかもです。

正しい当たり前を後天的に学習する

自分ができない当たり前のことがあって、その当たり前のことが正しい当たり前だとしたら、後天的に学習すればいいだけです。

そうやって少しずつ正しい当たり前のことが当たり前にできるようになっていけばいいだけです。私も世間とズレズレだったし、自分が間違った当たり前を持っていたことが多かったから、かなり後天的に正しい当たり前というものを学びました

最初から全部完璧である必要はないよ。多数派の人だって全部完璧に正しい当たり前をできているわけではなくて、いろんなことを経験しながら後天的に学習しているものです。だから、後天的に学習して常に自分を高めていきましょう。

世のため人のためになることは何かと考える

上記のことをやれば後天的にある程度は正しい当たり前を学ぶことができます。しかし、初見の当たり前に対しては自分でどうするべきかを考えなければいけません。この場合は

「世のため人のためになることは何か?」
「世のため人のためになる正しい当たり前は何か?」

と考えることが大切です。こう考えれば自然と正しい当たり前なのかどうか判断できるようになります。少なくとも正しい当たり前と正しくない当たり前を間違える確率も減るはずです。

暗黙のルールや社会的常識と対応方法は同じように感じるので「暗黙のルールや社会的常識がわからなくて嫌われる人は世のため人のためになることだけを考えればいい件」も参考にしてください。

感想

当たり前って何だろうとよく思います。人から「当たり前のことができないよね」と注意されることもあるし、自分が「それは当たり前のことだよ」と注意して、自分が注意できる人間じゃなかったと反省することも多々あります。

でも、当たり前って多数派の意見や感覚に過ぎないと思っているので、正しい当たり前と正しくない当たり前があると思っています。

だから、私は正しい当たり前だけ当たり前にできるようにしたいと思っています。やっぱり、どんなときでも「世のため人のためになることは何か?」を考えて、正しい当たり前だけを追求していきますね。

著者

とばひさし とば ひさし
武豊町議会議員、日本維新の会
IT・Web会社の社長
詳細プロフィール

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