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静かなカフェや電車でうるさい人たちがいても、怒る必要はない理由

2023年02月25日 更新2020年04月07日 公開

スタバで仕事をしていると、たまに元気(うるさい)人たちが近くに座っていることがあります。音楽を聞いているのですが、たまにイライラしてしまうときもあります。

でも、静かなカフェや電車で元気な(うるさい)人たちがいても、怒る必要も理由を自分のためにまとめました。

比較的静かなカフェといえばスタバだと個人的には思っているのでござる

静かなカフェに元気な人がいるとイライラする理由

スタバは静かな雰囲気ができているので、他のカフェよりは静かなことが多いです。それでも、ときどき少しうるさいなと感じることもあります。

静かなカフェに元気な人がいると、イライラすることがある自分の気持ちを考察してみました。よくよく考えてみると、イライラする必要がまったくないように思いましたw自分の人間ができていないだけでした。

自分が集中できないのを人のせいにしている

私は家であまり仕事が集中できないタイプなので、自分が集中できないのを人のせいにしているなと感じました。なんでも人のせいにしてはいけません。

自分が正義だと思っている

「静かなカフェは静かにするのが正義だ」
「スタバは静かにするのがルールだ」

と思っている自分がいました。カフェはおしゃべりをしてもいい場所でもあります。なので、

「自分が正しい」
「自分が正義だ」

と思っていることがいけないように思います。自分の意見が必ずしも、正しいわけでもないのです。

正しさを強制しようとしている

自分が正義だと思う、自分が正しいと思っていることを強制しようとしているのも、イライラする理由だと思います。

自分が正しいと思う部分もありますが、100%正しいわけではありません。その正しさを強制するのも町がないように思います。

なんでも自分が正しいと思って、人に強制しようとするのはいけないと思います。自分が正しいとか思わなければ、イライラすることもないから、正しいだの正しくないだの自分がイライラすることもありません。

静かなカフェで元気な人にもイライラしないコツ

静かなカフェや電車などで元気な人にも、イライラしないコツをお伝えします。

怒ってはいけないのが真理だと悟る

この世界には真理があります。その真理の一つが「怒ってはいけない」ということです。もちろん諭すために怒るとかはいいと思うのですが、感情的にカッとなって怒ってはいけないのが真理なのです。

真理に従わないと消極的な気持ちとなり、肉体にも悪影響を及ぼしてしまうのです。自分で自分を苦しめるようなものです。

なので、自分が悪くなくて周囲が悪いとしても怒ってはいけないのです。どんな悪意ある人に対しても、怒ってはいけないのが真理だと考えてください。イライラする義務もなければ、イライラする必要もないのが真理なのです。

そもそも怒るほどのことではない

怒ってはいけないことが真理ですし、静かなカフェで元気な人がいることは、そもそも怒るほどのことではありません。怒らなくていいことをわざわざ怒っているのです。愚の骨頂ですよね。

イライラしなければ注意したいとも思わない

静かなカフェで元気な人がいると仕事に集中できなくて、注意したくなるときもあります。でも、それよりも重要なのは、元気な人がいる状況でもイライラしないことです。そもそもイライラしなければ、注意したいとも思わないからです。

正しさを強制するのが正しいとは限らない

静かなカフェにうるさい人たちがいて、静かにするのが正しいとします。でも、その正しさを強制する必要はあるのでしょうか?別にうるさいのが正しくないとしても、自分が何も感じなければ、正しさを強制する必要すらなくなるはずです。

正しくない人は正しくないのですが、正しくない人に対して怒るのも正しくないのです。だから、怒っている時点で自分も正しくないんです。

正しさを注意するのが自分の役目とは限らない

今日初めて見た元気な人を注意するのが、自分の役目なのでしょうか?あなたと関係の深い人や家族なら、正しさを注意するのが役目だと思います。

それなのに、誰彼かまわず正しさを強制するのが、正しいようには思えないのです。それは自分の正義を振りかざしているだけの、ただのナルシズムな気がします。

もちろん、注意しないことでその人達は同じ過ちを繰り返すことになります。でも、だからといって自分が注意するのが、役目だとは限らないと今は思っています。

本当にあなたがやるべき役目だと思えば、注意すればいいと思います。でも、こんな怒らなくてもいいような、小さなことを注意する必要もないと思います。人命とか関係あるなら、もちろん注意するべきだけどさ。

自分も若いときはうるさかったなと思う

怒ってはいけないのが真理とわかっていても、修行途中だとどうしてもイライラしてしまうこともあります。そんなときは

「自分も若いときはうるさくして、迷惑をかけたことがあったな」
「自分も若いときはうるさくして、誰かに迷惑を書けた業が今なくなったな」
「自分も若いときは、うるさかったときあったから怒れないな」
「自分も若いときは、うるさかったけど今は成長したな」

など思うことも有効です。こうすれば、今周囲で元気な人たちにも「自分もうるさいときがあったな」と思えるので、イライラしにくい気がします。

自分も学んで正しいことができているのであれば、他人の行動も許容することもできるような気がします。

まだまだ修行が足りないなと思う

それでもイライラしてしまう人は、「まだまだ修行が足りない」と自分を戒めるようにしましょう。消極的な暗示に影響を受けてしまっているな、精神統一できていないのだなと思えばいいのです。

有意注意の練習をするチャンスだと思う

そもそも、有意注意であれば、静かなカフェにうるさい人がいても仕事や勉強に集中できるはずです。それなのに、無意注意だから、うるさい人に無意識に反応してしまって集中できないのです。

自分ができていない理由を他人のせいにしているので、実は自分にイライラしているのではないかとも思っています。

逆に、こういううるさい人がいるときほど、有意注意をするチャンスだと思えばいいのです。こうすればイライラではなく、自分を高める修行に変わるのです。

それでもイライラするならお店を出よう

それでもイライラするならお店を出るのがベストです。あえてイライラする人たちの近くに、意地を張って留まる必要もないのです。修行が足りないうちは消極的な人には近寄らないのがベストです。

こうやって人のせいから自分のせいにすれば、イライラすることも減るのではないでしょうか?

感想

自分が有意注意になっていればイライラしないので怒ることもありません。イライラするなんて自分の修行が足りなかっただけでした。

著者

とばひさし とば ひさし
武豊町議会議員
詳細プロフィール

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