静かなカフェや電車でうるさい人たちがいても怒る必要も義務もない理由

2020年04月07日 公開

スタバで仕事をしているとたまにうるさい人たちが近くに座っていることがあります。音楽を聞いているのですが、たまにイライラしてしまうときがあります。

でも、静かなカフェや電車でうるさい人たちがいても怒る必要も義務もない理由を自分のためにもお伝えします。

比較的静かなカフェといえばスタバだと個人的には思っているのでござる

静かな場所にいるとイライラしやすくなる人たちの特徴

スタバは割と静かな雰囲気が出来ているので、他のカフェよりは静かなことが多いです。でも、やっぱり時にうるさい人も来ます。

男子高校生は割とうるさい

特にうるさいなと感じてしまうのは高校生などの学生が集団化したときです。1人だと静かなのに2人以上になると急にうるさくなるんですよね。特に男子高校生は集団化すると厄介です。

やんちゃ系は大体うるさい

あとやんちゃ系な人もうるさいです。もう彼らの場合はうるさくするのが義務的な感じすらあります。うるさくして人に迷惑をかけるのがかっこいい的な感じがあります。

多分静かにしたほうがいいのがわかってて、あえてうるさくしているのかなと思うくらいです。これはもう日本中どこでも大抵うるさいです。かまってほしいのかな。

おばちゃんは割と気にならないのは不思議

逆におばさんとか世間話をしているだけなので、そんなに気にならないです。若者系がいきがってうるさくしているとやっぱりイライラしやすいように思います。もうおばちゃんはうるさいものだと認識しているからなのかな?不思議。

静かなカフェにうるさい人がいるとなぜイライラするのか

個人的に静かなカフェにうるさい人がいるとなぜイライラするのか自分の気持ちを考察してみました。よくよく考えてみるとイライラする必要がまったくないように思ってしまいましたw

自分が正義だと思っているから

「静かなカフェは静かにするのが正義だ」
「スタバは静かにするのがルールだ」

などと思っているのだと思います。そりゃ静かな方がいいけどカフェはおしゃべりをしてもいい場所でもあります。

なので、「自分が正しい」「自分が正義だ」と思っていることがいけないように思います。別に自分の意見が必ずしも正しいわけでもないのです。

正しさを強制しようとしているから

自分が正義だと思う、自分が正しいと思っていることを強制しようとしているのもイライラする理由だと思います。

正しいことは正しいのですが、別にその正しさをそのうるさい人たちに矯正する必要は必ずしもありません。なんでも自分が正しいと思って、人に強制しようとするのはいけないと思います。

自分が正しいとか何も感じなければイライラすることもないから、そもそも正しいだの正しくないだの自分がイライラすることもありませんしね。

自分が集中できないのを人のせいにしているから

あと、有意注意で自分が集中できないのを人のせいにしているからいらいらしてしまうのです。人のせいにするとイライラしますが、自分のせいだとイライラしないですよね。なんでも人のせいにしている癖が自分にあるのだと思います。

静かなカフェなどでうるさい人にもイライラしないコツ

最後に、静かなカフェや電車などでうるさい人にもイライラしないコツをお伝えします。

怒ってはいけないのが真理だと悟る

この世界には真理があります。その真理の一つが「怒ってはいけない」ということです。もちろん諭すために怒るとかはいいと思うのですが、感情的にカッとなって怒ってはいけないのが真理なのです。

真理に従わないと消極的な気持ちとなり、肉体にも悪影響を及ぼしてしまうのです。自分で自分を苦しめるようなものです。

なので、自分が悪くなくて周囲が悪いとしても怒ってはいけないのです。もうどんな悪意ある人に対しても怒ってはいけないのが真理だと考えてください。イライラする義務もなければイライラする必要もないのが真理なのです。

そもそも怒るほどのことではない

怒ってはいけないことが真理ですし、静かなカフェでうるさい人がいることは、そもそも怒るほどのことではありません。怒らなくていいことをわざわざ怒っているのです。愚の骨頂ですよね。

イライラしなければ注意したいとも思わないし気にならない

静かなカフェでうるさい人がいると仕事に集中できなくて注意したくなるときもありますでも、それよりも重要なのはうるさい人がいる状況でもイライラしないことです。そもそもイライラしなければ注意したいとも思わないからです。

それにイライラしなければうるさい人たちを思うこともないので気にもならないのです。やっぱりどんな人に対してもイライラしなければしてはいけないのです。

正しさを強制するのが必ずしも正しくはない

静かなカフェにうるさい人たちがいて、静かにするのが正しいとします。でも、その正しさを強制する必要はあるのでしょうか?別にうるさいのが正しくないとしても、自分が何も感じなければ、正しさを強制する必要すらなくなるはずです。

正しくない人は正しくないのですが、正しくない人に対して怒るのも正しくないのです。だから怒っている時点で自分も正しくないんです。

正しさを注意するのが自分の役目とは限らない

今日初めて見たうるさい人を注意するのが自分の役目なのでしょうか?あなたと関係の深い人や家族なら正しさを注意するのが役目だと思います。

それなのに、誰彼かまわず正しさを強制するのが正しいようには思えないのです。それは自分の正義を振りかざしているだけのただのナルシズムな気がするんですよね。

もちろん注意しないことでその人達は同じ過ちを繰り返すことになります。でも、だからといって自分が注意するのが役目だとは限らないと今は思っています。

注意するのは本当に自分の役目なのでしょうか?本当にあなたがやるべき役目だと思えば注意すればいいと思います。

でも、こんな怒らなくてもいいような小さなことを注意する必要もないと思います。人命とか関係あるならもちろん注意するべきだけどさ。

自分も若いときはうるさかったなと思う

怒ってはいけないのが真理とわかっていても、修行途中だとどうしてもイライラしてしまうこともあります。そんなときは

「自分も若いときはうるさくして迷惑をかけたことがあったな」
「自分も若いときうるさくして誰かに迷惑を書けた業が今なくなったな」
「自分も若いときはうるさかったときあったから怒れないな」
「自分も若いときはうるさかったけど今は成長したな」

など思うこと有効です。こうすれば、今周囲でうるさい人たちにも「自分もうるさいときがあったな」と思えるので、イライラしにくい気がします。

自分も学んで正しいことができているのであれば、他人の悪い行いを許容することも出来るような気がします。

まだまだ修行が足りないなと思う

それでもイライラしてしまう人は「まだまだ修行が足りない」と自分を戒めるようにしましょう。消極的な暗示に影響を受けてしまっていることや、有意注意で精神統一出来ていないのだなと思えばいいのです。

有意注意の練習をするチャンスだと思う

そもそも、有意注意であれば静かなカフェにうるさい人がいても仕事や勉強に集中できるはずです。それなのに無意注意だからうるさい人に無意識に反応してしまって集中できないのです。

自分ができていない理由を他人のせいにしているので、実は自分にイライラしているのではないかとも思っています。

逆にこういううるさい人がいるときほど有意注意をするチャンスだと思えばいいのです。こうすればイライラではなく、自分を高める修行に変わるのです。

それでもイライラするならお店を出よう

それでもイライラするならお店を出るのがベストです。あえてイライラする人たちの近くに意地を張って留まる必要もないのです。修行が足りないうちは消極的な人には近寄らないのがベストです。

こうやって人のせいから自分のせいにすれば、イライラすることも減るのではないでしょうか?

感想

スタバで久しぶりにうるさい若者たちがいてちょっとイライラしてしまいましたが、イライラするのは自分の消極的な気持ちがいけないなと反省しました。

そもそも、怒る必要もないことですし、自分が有意注意になっていればイライラしないので怒ることもありません。イライラするなんて自分の修行が足りない!次回からうるさい人がカフェにいようが電車にいようがイライラしないことをここに誓います。

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