人に接するときは積極的な心で!不幸な人に同情しなくてもいい理由
人に接するときは、積極的な心でいることが大切です。また、不幸な人に同情しなくてもいい理由もお伝えします。「対人精神態度」は積極的にしましょう!
積極的な心で人に接する
「人間である以上、山中にでも隠遁の孤独生活をしていない限りは、絶えず自己以外の人と相接しまた交際する。がその時である。場合の如何をとわず、また事情の如何をとわず、積極的の心を断じて崩さないように心がけることである。即ち、どんなことがあっても、心の明るさと、朗らかさと、活々とした勇ましさを失わないように、心がけるべきである。(中村天風、真人生の探求p161)」
人間である以上、人間と接していくことになります。誰も来れない、ネットもない山の中でもない限り、人と接しないことは難しいからです。
「自分は孤独だ」
と思っている人であっても、人と接する生活をしているわけです。「人は人の世界に生きている」ということです。ネットやり取りも人と接しているのと同じです。つまり、完全に人と接しない生活なんて、今の社会では難しいわけです。
だからこそ、どんな場合でも人と接するときは、常に積極的の心であるように心がけることが大切です。心の明るさ、朗らかさ、活々とした勇ましさを無くさないように、心がけることが大切です。
病気や不幸な人に積極的な言葉だけ使う
「特に不健康の人や、悲運の人に接する際は、鼓舞、奨励以外の言葉は口にしないように注意することである。(中村天風、真人生の探求p162)」
病気の人、不幸な人に対しては、その人を励ますような積極的な言葉だけを使うようにしましょう。相手の消極的な雰囲気に合わせて、消極的な言葉を使ってはいけないのです。
不幸な人に同情しなくてもいい理由
「同情ということは、人間の為さねばならない当然の美徳ではある。しかしその美徳である同情の垣を越えて、相手方の気持の中に引きずり込まれて、同じように、消極的な気持にならなければならないという、間違った義務が一体どこにあるであろうか?(中村天風、真人生の探求p162)」
病気の人や不幸な人に同情することは、人間として大切な美徳です。しかし、その美徳を超えた同情をして、こちらまで消極的になってはいけません。
「不幸な人と同じ気持ちにならなければならない」
といった間違った義務なんてないのです。病気の人や不幸な人がいたら同情はしても、一緒に消極的にならなくていいのです。
「ただ一人の人生事実のために、一人ならず二人までが、消極的の気分になり、延いてその周囲の雰囲気迄消極化してしまうという事実結果があることを知ったなら、かりそめにも真理を人生の宝とするお互いなら、これこそ誠に大きい失錯だと気づく筈である。(中村天風、真人生の探求p162)」
病気や不幸の人が1人いると、周囲の人まで消極的になってしまいます。みなさんも不幸な話を聞いていたら、こっちの気持ちまでゲンナリした経験がありませんか?
それまでは1人の不幸で済んでいたのに、間違った同情をすることで不幸な人が何人も増えてしまうのです。消極的な気持ちが連鎖してしまっているのです。
この事実に気づいたら、不幸な人と同じような消極的な気持ちになることは、ダメだと気づくはずです。
本当の同情とは
「不健康の人や薄幸の人々には、大いに同情するべきであるが、同時に真の同情の発露として、適当な鼓舞と奨励とをその人々の心に与えてやり、少しでも、その人々の心に積極的の暗示となるものを、心の糧として贈ってやることこそ、最も尊厳な人間的行為である。(中村天風、真人生の探求p162)」
病気の人、不幸な人には、同情をしてあげることも大切です。しかし、本当の同情をしたいのであれば、積極的な言葉を使うことが大切です。
その人に合わせた励ましの言葉を使い、その人が少しでも積極的になれるようにすることこそ、本当の同情なのです。
感想
人は人と接して生きています。そのため、対人精神態度は常に積極的にすることが大事です。
また、病気の人、不幸な人と同じ消極的な気持ちになる必要もありません。むしろ、その人たちが積極的になる言葉のみを使ってあげましょう。
私もこれまで同情というものは、一緒に悲しんであげることだと思っていました。でも、間違った同情だったのです。
本当の同情とは、病気の人、不幸な人を積極的にしてあげることです。積極的な言葉だけで、その人の心を積極的に変えてあげましょう!