宮崎駿の風立ちぬを見た感想と考察【元ネタや原作は?】
平成最後の宮崎駿の映画「風立ちぬ」を見た感想と考察をご紹介します。元ネタや原作情報もお伝えします。なお、ネタバレ要素も含まれているので、映画を見てからこの記事を読むことをおすすめします。
「風立ちぬ」の元ネタ(原作)
「風立ちぬ」の元ネタ(原作)ですが、零戦で有名な航空技術者である「堀越二郎」を主人公のモデルとし、堀辰雄の「風立ちぬ」のストーリーを参考にした、宮崎駿のオリジナルストーリーとなっています。
「堀越二郎+堀辰雄(風立ちぬ)」を題材とした、宮崎駿のオリジナルストーリーだと考えるとわかりやすいです。
公式サイトにある風立ちぬの企画書にも、この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた文学者堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公二郎に仕立てていると記載されています。また、
「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」
と映画の公式サイトにも記載されていることからも、「堀越二郎」と「堀辰雄」が元ネタであることがわかります。
あと、堀辰雄の「菜穂子」という小説があるので、名前はここから取ったのではないかと思います。「菜穂子」という小説にも、結核のことが描かれています。
宮崎駿に残された時間が少ないから、いろんなストーリーを混ぜたのかなと思いました。元々オリジナルストーリーがあって、それを宮崎駿風に解釈するお家芸ですね。
元ネタとの違い
堀越二郎は別の人と結婚している
堀越二郎氏は別の人と結婚していますし、里見菜穂子という人間は存在しません。里見菜穂子は風立ちぬだけの架空の人物なのです。また、映画で里見菜穂子と過ごしているときには、別の女性と結婚しています。
「風立ちぬ」は堀辰雄の結核体験がベースの小説
「風立ちぬ」は堀辰雄氏の体験をベースにした小説です。堀辰雄と1934年に婚約し、1935年に結核で死んでしまった「矢野綾子」をモデルとした小説です。結核同士の恋人の恋愛小説だったのです。
「風立ちぬ」のあらすじ
堀越二郎の子供時代から始まります。夢に現れたカプローニ伯爵と出会い、堀越二郎は飛行機の設計者を目指します。
時は流れて大人になった堀越二郎は、電車で後の婚約者である里見菜穂子と出会います。電車で帽子をとってもらった後に、関東大震災が発生します。堀越二郎は骨折した絹を背負い、彼女たちを助けます。
その後大学を卒業した堀越二郎は、飛行機の開発会社(三菱)に入社し、飛行機の開発に携わります。その後、ドイツに派遣されるなど、飛行機開発に打ち込んでいきます。
入社から5年で飛行機開発のチーフに大抜擢されますが、開発した飛行機はテストで空中分解をします。実際は、ここでパイロットも殉職してしまいます。
堀越二郎は飛行機開発という挫折を経験し、軽井沢のホテルで休養を取ります。そこで里見菜穂子と再会し、元気を取り戻していきます。しかし、里見菜穂子は結核を患っていましたが、それでも構わないと堀越二郎と里見菜穂子は婚約を果たします。
その後、元気を取り戻した堀越二郎は飛行機開発に再度取り組みますが、ある日里見菜穂子が喀血したという電報が入ります。
すぐに東京に戻りますが、その日の終電で名古屋にトンボ戻りをします。里見菜穂子の結核の病状は、かなり悪化していることをそこで知ります。
里見菜穂子は結核治療をするために高原病院に入院しますが、ある日病院を抜け出し堀越二郎の元に向かいます。
堀越二郎はそれを受け入れ、黒川氏の離れで一緒に生活をします。堀越二郎は飛行機開発に打ち込みながら、里見菜穂子との結婚生活を送ります。
飛行機テストが行われる日に、里見菜穂子は置き手紙を残して、堀越二郎の元を去りました。そして、再び夢にカプローニ伯爵が現れ、映画は終わり、ユーミンの曲が流れます。
ざっとしたあらすじはこんなかんじです。全体として堀越二郎の半生がベースにあり、そこに恋愛ストーリーが混在しているのです。後半はほぼ「風立ちぬ」だったと感じました。
風立ちぬ公式サイトのストーリーも読んでみてください。
風立ちぬの感想
「結核」は当時の死病だった
「風立ちぬ」を見る前提知識として知ってほしいのが、結核という病気についてです。「風立ちぬ」の時代では、結核は国民病・亡国病と言われるほど、致死率が高いものでした。死病と考えられていたわけです。
そのため、結核にかかっている里見菜穂子と婚約をする堀越二郎の決意は、並々ならぬものだったのです。私の敬愛する中村天風氏や稲盛和夫氏も、結核にかかった経験があり、死を覚悟したと語っています。
堀越二郎は夢や理想を追い求める天才
堀越二郎は周囲からすると、家族に対して冷たいと思えるほどです。その一報、夢や理想を追い求める天才だったと思います。歴史に名を残す天才というのは、家族に対しては冷たいものではないのかと思ってしまいました。
もちろん、男性は仕事に行き、女性は男性の仕事を支えるというのが当たり前の時代背景でした。そのため、堀越二郎のように仕事に生きても、反発の少ない時代で現代とは違います。
現代の男性は、仕事だけでなく家庭も守ることが求められていますが、今とはまるで価値観が違うわけです。
家族を顧みず仕事に打ち込まなければ成功はできない
堀越二郎のような仕事のやり方は、男性としては憧れるものだと思います。誰もができるようで、できない仕事の熱中ぶりだからです。
多くの凡人なる男性は、そこまで仕事に熱中することができません。大いなる夢もなければ、集中力も熱意もないからです。
それに、多くの凡人なる男性は、家族を顧みず仕事に打ち込むことに心苦しさを感じます。堀越二郎も心苦しさは感じていたでしょうが、夢や熱意が家族を大切にすることを許さないのです。それだからこそ、実の妹からも
「にいには薄情者だ」
と言われてしまうほど、冷たい人間だなと思われているのです。もちろん、堀越二郎にとって里見菜穂子との結婚の日々は、彼なりの愛情なのでしょう。
それは里見菜穂子も理解しています。だからこそ、映画を見ていてある種の純粋な愛情を感じ、それをうらやましいと感じてしまいました。
堀越二郎のように家族を顧みれないほどに、仕事に熱中することができなければ、大いなる成功は手にできないのかもしれません。
ジェームズ・アレンが言っている「大きな成功には大きな犠牲が伴う」という言葉は、ある種真実なのかと感じてしまいました。
私は家族を大切にするという一般的な考え方では、ビジネスにおける成功を手にすることは難しいのかもしれないと感じてしまいました。
また、映画中で「本腰を入れて仕事をするために所帯を持つ。これも矛盾だ。」と同僚の本庄が言っていました。仕事と家庭とは相対するものであり、どちらを大切にするのは矛盾であり、昔も今も皆悩む問題なのかと感じてしまいました。
妻にも夫の犠牲となる覚悟が必要
成功者とは仕事に熱中し家族を顧みないもので、妻はその犠牲になることを厭わないような人でなければいけない。凡人なる女性では成功者となれる男性を、少々成功する程度で止めてしまうのです。
成功するには夫が成功者になる資質があるだけでなく、妻にも夫を成功者にする資質が必要なのだと、改めて感じてしまいました。
おそらく、映画の里見菜穂子が仕事を辞めてでも一緒にいてほしいという、凡人なる女性では堀越二郎は成功せず、零戦の開発が成功することはなかったでしょう。
堀越二郎は美しいものにしか興味がなかった
映画を見ていて、堀越二郎は飛行機に美しさを追い求めています。サバの骨が美しいと何度も描写されるように、映画の中の堀越二郎は美しいものにしか興味がなかったのです。
それゆえに、堀越二郎は里見菜穂子の美しさを愛したのです。そして、それを知っていた里見菜穂子は美しさが維持できるときだけ一緒に過ごし、醜くなってしまう時期、つまり、死期が近づくと堀越二郎の元から去っていったのだと思います。
だからこそ、黒川氏の奥さんが
「美しいところだけ好きな人に見てもらったのね」
というセリフが出たのだと思います。そのため、堀越二郎が里見菜穂子を追う描写もなく、映画はあそこで終わったのかなと思いました。
ある種、とてもキレイな終わり方だと思いました。里見菜穂子が死ぬ場面も描写しなかったのですから。
いびつだけど純粋な愛情
私は結核であっても、二人なりの愛を貫く結婚シーンでは何度も泣いてしまいました。周囲からはいびつだと思われるかもしれませんが、二人なりの純粋な愛情だったからです。
結核が治らず死んでしまう里見菜穂子と、一緒に居続ける堀越二郎の純粋さ。自分の病気が悪化してでも、堀越二郎と一緒にいたい里見菜穂子。
そして、結核であっても一緒にいるというエゴイズムは、狂気にも思えるほど純粋な愛情なのだと思ってしまいました。実際にキスシーンも何度もありましたが、その時代で考えると自分が結核になってもおかしくない行為だからです。
堀越二郎は宮崎駿
宮崎駿が家族を大切にしているかどうかは知りませんが、堀越二郎は宮崎駿なのではないかと、映画を見ていて思ってしまいました。
一種の天才というものは圧倒的な努力を払い、ときに家族を犠牲にしてしまうことがある。でも、だからこそ、彼らの偉業は美しいと感じてしまうのです。
「風立ちぬ」という映画は、一種の宮崎駿の贖罪映画なのではないかと思ってしまうほどです。こればかりは、宮崎駿しかわからないことですが。映画という美しさを追い求めたのが、宮崎駿だと私は感じました。
公式サイトにあるプロダクションノートには、「二郎の姿はまるで宮崎駿監督そのものを投影しているかのようにも思える」と記載されているので、堀越二郎はやはり宮崎駿監督そのものだったのかなと確信しました。
堀越二郎は里見菜穂子と出会ったときは絹を好きだった
堀越二郎も人間らしいと思うのは、里見菜穂子と出会ったときは、絹を好きだったと思わせる描写があったことです。
絹は関東大震災のときの里見菜穂子の女中であり、堀越二郎が背負った女性です。その後、堀越二郎の元に絹らしき女性が訪れた描写がありますが、そのときに出てきたのは絹の背中だからです。
実際に、堀越二郎の妹との会話でも、絹の名前が出てくることもわかります。
「僕はあなたを愛しています。帽子を受け止めてくれたときから」
と婚約をするときに言っていますが、これがもしも出会ったときの話であれば、嘘をついていることになります。だって、絹を好きだったわけですから。このあたりは宮崎駿に聞いてみたいですよね。
*てか、出会った時に好きだったら完全にロリコンw
黒川氏がツンデレなナイスガイ
個人的には堀越二郎の上司である黒川氏が、一番ナイスガイだと思いました。登場したときは背の小さな嫌な上司のように見えますが、実際はとても優しい上司です。ツンデレ過ぎてキュンとします。
ドイツに堀越二郎を推薦したり、秘密警察に追われているときは離れにかくまったり、結核である里見菜穂子との結婚の仲人をするだけでなく、離れに住ませるなど一番人間味のある人だと思いました。
魔女の宅急便やトンボを彷彿とさせた
荒井由実の「ひこうき雲」が主題歌であることから、魔女の宅急便をすぐに思い出しました。魔女の宅急便も荒井由実の「ルージュの伝言」「やさしさに包まれたなら」がテーマ曲として利用されていたからです。
また、飛行機が大好きなトンボも堀越二郎を彷彿とさせます。成長したトンボが堀越二郎なのかな?とも思ってしまいました。そもそも、トンボも堀越二郎がモデルだったのかもしれません。
堀越二郎の声優役に庵野秀明は違和感
堀越二郎の声優役はエヴァンゲリオンの監督で有名な庵野秀明でしたが、個人的には違和感がありました。
後半になると慣れてくるのですが、青年になった堀越二郎が出てきたときには、少しおっさんの声過ぎるという違和感があるからです。こればかりは仕方ないか。
でも、ある種映画の堀越二郎のような人間は、庵野秀明のような話し方なのかもしれないとも思うようになりました。庵野秀明も堀越二郎と同じタイプで、夢や理想を追い求める天才ですからね。
瀧本美織の声は里見菜穂子と合っていた
瀧本美織はあざといと感じてしまうことが多かったのですが、里見菜穂子の声役としてはかなりハマっていたように感じます。ある種のあざとさと透明感がうまく混ざっており、なんかすごく良かったです。いいキャスティングするよな。
荒井由実(松任谷由実)のひこうき雲が鉄板過ぎた
宮崎駿映画といえば、荒井由実(松任谷由実)は鉄板中の鉄板です。魔女の宅急便でもそうでしたし、今回もそうです。
そして、歌詞が映画とマッチしているのもすごいなと思いましたし、実際のひこうき雲の歌詞は筋ジストロフィーという病気に小学生にときにかかってしまった同級生が、高校生になって死んでしまったことをテーマにした歌だからです。
ひこうき雲は風立ちぬの世界観にとてもマッチしていると感じましたし、素晴らしい選曲だと思いました。これは宮崎駿の好みの反映でもありますが、映画の選曲センスはすごいなといつも思います。
今までのジブリとはテイストが違った
公式サイトにあるプロダクションノートには、
「実在の人物がモデルとなるのは、スタジオジブリの長編作品では初めて」
「これまでは3~4日に起こった出来事の話が多かったが、約30年にわたる二郎の半生を描いた壮大な物語」
と記載されています。確かに今までのジブリとは、映画のテイストが違うなと感じました。ファンタジーのようで現実的でした。
ナルシズムを掻き立てるいい映画だった
宮崎駿の映画はそれだけ見ても面白いし、自分なりに解釈するのが本当に面白い映画だなと思います。宮崎駿のナルシズムだけでなく、見ているファンのナルシズムもかき立てるのは、宮崎駿にしかできないなと思いました。
それに、宮崎駿の映画の感想は人それぞれだし、どれが正しくてどれが間違っているということはありません。
だからこそ、好き勝手に映画を見た感想を、他の人と同じようにナルシズム的にまとめてみました。こんなことができるのも、宮崎駿の映画ならではです。
他の人の感想や考察を見るのも面白いですし、嘘かもしれない都市伝説を見るのさえも楽しいと思えるのが、宮崎駿の映画なのです。
最後に
いろいろと感想や考察を書いてきましたが、ここらへんで終わりにしようと思います。映画の感想ってナルシズムをかき立てる素敵な作業なので、終わりがないからです。
私は2019年4月の金曜ロードショーで初めて「風立ちぬ」を見ましたが、ジブリ映画の中でも面白い映画だと思いました。子供向けの映画ではなく、むしろ大人向けの映画だと思います。
戦争映画のようで戦争映画でもありません。飛行機開発だけのストーリーでもありませんし、キレイな恋愛ストーリーだけでもありません。
映画を見ても全てが解決するようなわかりやすいストーリーではありませんし、なんとも言えない感情を抱かせる映画でした。全てが混在するバランスは、やはり宮崎駿にしかできません。
あれこれ考えずに、一度見るとやはり面白いです。初めて見たときは、いびつだけど純粋で美しい狂気にも思えるような愛情だと感じました。あんな恋愛してみたいよなと、陳腐的にも思いましたw
二回目以降はあれこれ考えながら見てしまうので、映画に集中できないですwツッコミどころも多いので、純粋な気持ちで映画を見るのが一番です。
金曜ロードショーで再放送されたら、また見てあれこれ考察したいと思います。年齢を重ねるごとに感想が変わるのも宮崎駿映画の魅力のひとつなのですから。余白を考える映画って面白い。