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座禅など旧来の方法で積極的になろうと思ってもなかなか積極的になりきれない理由

2020年08月07日 公開

積極的になろうと思って座禅など旧来の方法を試みても失敗に終わる人は多いと思います。座禅など旧来の方法で積極的思考をしようと思ってもなかなか積極的になりきれない理由があるからです。

座禅など旧来の方法では効果が出るまで相当の修行が必要

「尤もこの種の方法(聯想暗示法)は、夙に外国の哲学者や心理学者等に依って、大同小異的に考案応用されたもので、我邦に古来からあるかの座禅行も、またこの方法の変型的応用法だともいえるのである。 然し、ここに注意すべき問題は、在来の方法その儘では、中々初心の者にはその効果を思うように挙げ得る迄に相当の修練を要する。(中村天風、真人生の探求p122)」

積極的思考を作り観念要素の更改をする方法はこれまでも哲学者や心理学者によって考案されています。

また、日本では昔からある座禅も聯想暗示法の変型的応用法です。しかし、注意するべきは、座禅をそのまま行っても初心者が積極的な心を作るのにはそれ相当の修行時間が必要となることです。

座禅など旧来のやり方

「この方法(座禅など旧来の方法)は、一日の中で、適当な時を撰んで静坐瞑目して、たとえ現在の人生事情がどうあろうと即ち病が身にあろうと無かろうと、また運命が良かろうと悪かろうと、一切それに係ることなく、全然それと正反対の積極的事項を、自分から意識的に一心不乱の状態で吾が心に思念瞑想せしめよ、というのがその大要である。(中村天風、真人生の探求p122~123)」

私が知っている座禅方法は「何も考えずに10まで数える」というやり方ですし、も臨済宗や曹洞宗で座禅のやり方が違うというのは置いときます。

一般的に座禅など旧来の方法は人生が病気だろうが不幸だろうがどんな状況なときであろうと、積極的なことだけを考えようというやり方です。

「そしてこうすれば、一体どういう結果が来るかというと、その思念度が強烈であればある程、言い換えると、その思念の強さの程度に比例して、心はその思念の誘導を受容し、次第に消極状態を減退して、積極化して来るという、則ち心理現象に対する推移過程上からの論理を基本として考案されたものなのである。(中村天風、真人生の探求p123)」

そして、その積極的なことだけを強く考えれば考えるほど、消極的な心は消えて、積極的な心になるという理論的には完璧な考え方です。これだけ読むと「座禅最高!」と思いますが、そんなに座禅は甘いものではありません。

私も座禅をしていますが、上記のような心に持っていくにはかなりの座禅が必要となります。なかなかゾーンに入れないんですよね。雑念妄念ばかりが浮かんでしまうのです。

消極的で時間がない現代人が実践するのはとても難しい

「勿論これは、何の異論を挿む余地のない、立派な精神教化の自己修行法に相違ないが、ただ実際問題として考えさせられるのは、何事かの人生事実に直面して、その心に心配とか煩悶とか焦燥とかというような気持の生じている時、落ちついて適当の時間静坐瞑目、思考を渾一状態に凝念するという余裕が、精神的にも、時間的にも、普通の人には、中々もちにくいことと思う。(中村天風、真人生の探求p123)」

座禅自体は異論の余地のない素晴らしい修行法です。しかし、人生が順調で積極的で座禅をしようと思えるときはいいのですが、人生が不幸で消極的になってしまっていると、座禅をしようと思っても座禅ができないんですよね。

それに座禅をしていても悪いことばかり頭に浮かんできてしまうということもあります。ゾーンに入ればいいのですが、そこにいくまで座る時間がないので結局座禅をやらなくなってしまうということが多かったです。

というか座ろうと思える余裕がなかったという感じです。座れば楽になるのはわかっているのですが、座る余裕がないんですよね。

「特に初心傾向の人では、かりにこれを試みるとしても、積極的事項の思考を一糸乱さず凝念しようと思えば思う程、皮肉にも消極的思考の方が心の中に発生して来て、雑念妄念次々と湧き、この方法の奏功上一番大切な一心不乱という条件が、消極方面のみに傾注されてしまうという、厄介な状態に陥るのが共通の事実なのである。(中村天風、真人生の探求p123~124)」

そして、ここすごく重要だと思うのですが、初心者が座禅をしても「一心不乱」という条件になれず、消極的なことばかり考えてしまい、逆に厄介な状態になってしまうということです。

私も日常生活で消極的になってしまったときに、積極的になろうと思って積極的なことを考えようとしました。しかし、結局消極的なことを考えてしまい、消極的な自分から抜け出せなかったりするのです。

日常で積極的なことを考えるのは重要ですし、積極的なことを考えれば自分を積極的にしてくれそうなものですが、なかなかそうは問屋がおろさないというのが現実なんですよね。

座禅をするにも時間と人生に余裕がないと到底できるものではない

「尤も、そういう場合、座禅行の方では、雑念や妄念が発生したら、発生するに任せて相手にするな、そうすれば次第次第に、その雑念妄念の方から退散して行き、遂には、よく一心三昧の彼岸妙境に達し得るに至ると、導師の大部分はいうそうだが、それもそうかも知れないが、これには尠なからぬ努力と時間がかかると思う。というのは、雑念妄念を相手にするなという言葉に捉われて、相手にするまいという努力に、言い知れぬ消耗率を心に与えるという結果を招く。(中村天風、真人生の探求p124)」

上記のように、座禅を習うと雑念妄念が頭に浮かんでもを相手にするなと言われることが多いと思います。雑念妄念を相手にしなければそのうち頭から消えると言えます。そして、いつか一心三昧の悟りに至ると多くの導師はいうそうです。

でも、現実問題それができたらもう悟れてるんですよね。それができずに悟れないから長い時間修行して座禅をするわけなんですよね。

そして、雑念妄念を相手にするなという言葉にとらわれ、雑念妄念を相手にしてはいけないと思いながらも、雑念妄念ばかり浮かび相手にしてしまい、心がどんどん消耗していくという結果になるわけです。

「俗にいう座禅病と称する神経衰弱症の一種は、要するにこうした原因関係から生ずるともいえるが、尤もこれも導師側からいわせると所詮はそうした苦難を経なければ、本ものになれないというらしいが、それもそうに違いないとはいえ、然しそれは専門にそういう修行に没頭することの出来る人とか、または時間に相当の余裕をもち、且また人生羈絆の係累を多分にもたない人なら、或はやってやれないこともあるまいが、現在一刻の休みもなく怱忙たる人生に鞅掌し、その上自己の運命問題とか、健康問題とか、その他諸種雑多の生活事実に、心を纏綿して活きつつある人々には、到底一切を犠牲として忍耐努力して行いとおせるものではないというのが、これまたおおむね共通的の事実である。(中村天風、真人生の探求p124~125)」

いわゆる座禅病などの神経衰弱症は雑念妄念を相手にするなとわかりながらも、雑念妄念ばかり頭に浮かんで相手にしてしまうことで生まれてる病気です。

座禅の導師いわく、この雑念妄念と戦う苦難も修行だといいます。もちろん自分で雑念妄念を考えないようにするのが本来の座禅行ではあるので「その苦しみを経験しなさい」という修行の理屈はわかります。

でも、現代人がずっと座禅をしていたら生活が成り立ちません。座禅をして自分であれこれ考える時間もありません。

それだけでなくこの消極的なことが溢れている現代社会で、不運命やら病気やらいろんなことに悩んでいるので「座禅なんかやってられるか!そんな時間ないわ!」ってなるわけです。

だから、座禅自体は素晴らしいものなんですが、現代に即した方法ではないわけですね。だって昔のお坊さんは大名とかパトロンがいたし、昔のお寺は権利構造上でお金持ってたから(税金免除だから今もか)、座禅三昧でも生活が成り立っていたわけですしね。

現代人が座禅三昧の生活をするのは相当の富豪でない限り不可能なわけです。時代が違うので時代に合った座禅に取って代わる方法が必要なわけです。

座禅より聯想暗示法がおすすめ

「折角の良法(座禅など)を、このような事情から、実行難に陥るのを如何にも心惜しく考え、何とかしてもっとこれを応用率の普遍的のものにして見ようと、百方研鑽した後、どんなに下根の人も容易に、何等大した努力をする必要なく、よくその目的を達し得る一方法を創案した。(中村天風、真人生の探求p125)」

時間も余裕もない現代人が手っ取り早く気楽になりたいのであれば、座禅よりも「聯想暗示法」がおすすめです。理論的にも納得しやすいし、実践しやすいので本当におすすめです。

それに聯想暗示法は、より確実に座禅などの効果を得ることができるように中村天風氏が考えています。ヨガを経験して座禅の効果を知っている天風氏だからこそ編み出せる方法です。

感想

私は個人的に坐禅会などに参加していたこともあるので、座禅も毎日継続すれば積極的になるのに有効な方法だと心の底から思っています。

ただ、中村天風氏のご指摘の通り、なかなか座禅を習慣化するのが難しいんですよね。辛いときほど座禅したほうがいいとわかっていながら実行できない人間の弱さを感じるのです。そういった意味で座禅よりも聯想暗示法をするのがおすすめです。

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